Eri Wildeの那由多ブログ

エリワイルド(Eri Wilde)のブログです。 本名は福田英里子です。東京外国語大学外国語学部英米語学科卒。英語講師、日本語講師、通訳、香川せとうち地域通訳案内士、翻訳、SE、占い師、心理カウンセラー、YouTuberをしています。二人の兄弟の母親です。音楽(ピアノやウクレレの弾き語り)、アートなど多趣味です。次男は発達障害です。 お仕事のご用命は下記のメールアドレスまで宜しくお願い致します。eriwilde0@yahoo.co.jp

2020年度全国通訳案内士試験一次試験を受けて

今年はコロナ禍で実施が危ぶまれていた全国通訳案内士試験ですが、あらゆる試験が中止や延期になっている中、平年通り実施されております。

私は、去年に一般常識と通訳案内の実務の2科目は合格しましたので、それらの試験が免除されるのが今年だけであるため、どうしても受験したいと思い、感染を心配する旦那の反対を押し切って、大阪に受験しに行きました。

英語はTOEICが900点以上なので免除されましたので、日本歴史と日本地理を受験しました。

日本地理は、去年は合格点が70点のところ、自己採点で67点で悔しい思いをしました。日本歴史は、去年はとても難しかったので、今年はどちらかと言えば地理よりも歴史に重点を置いて対策しました。

そして、いざ蓋を開けてみると、日本地理は新傾向で著しく難化しており、日本歴史は安定の難問続きでした。ですが、日本地理よりも日本歴史の対策に力を入れていたせいか、日本歴史は去年よりは比較的に解答しやすいと感じました。

今年から、「コロナ感染拡大防止」という名目で、問題用紙を持って帰ることができませんでしたので、自己採点がほぼ不可能です。もはや自分がどの選択肢を選んだのかも定かではない状態ですので、たとえ他の皆さんの記憶力によって問題と解答が公開されても、自分が正答しているかどうか分からないのです。

上記の通りですので、正直申しまして、日本地理は合格している自信は余りありません。日本歴史も、もう一歩及ばずなのではないかと思います。

出題されて嬉しかった問題のトピックとしては、渋沢栄一三島由紀夫赤穂浪士和気清麻呂別子銅山臼杵磨崖仏、枯山水隠元の万福寺、国立西洋美術館鞆の浦石鎚山、寒霞渓などでした。

Twitterでの解答速報も、人によって正答の意見がまちまちなので、困惑しています。問題文がひねられていて、引っかけ問題になっていたせいなのだろうと思います。

平等院鳳凰堂を建立したのは誰かと尋ねられたら、藤原頼道と答えるのが正しかったのかも知れませんが、先に建物を建てたのは道長なので、微妙な出題だと思いました。

何はともあれ、問題と配点が公開されるのは11月の合格発表と同時だそうですので、しっかりおさらいできるその日まで、もどかしい気持ちを持て余すことになりそうです。

少なくとも、去年よりは日本地理や日本地理の知識が増えたことは間違いないので、じっくりマイペースで合格を目指していこうと、今は気持ちを切り替えようとしています。

いずれにせよ、いつかは一次試験に合格することが目標であることに変わりはないので、念のために、二次試験対策を始めておこうかなと思っています。

コロナの影響で通訳案内士のお仕事の依頼はしばらくはないでしょうし、焦らず地道に努力を続けたいです。

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デヴィッド・ボウイさんの息子の最新プロジェクト

デヴィッド・ボウイさんの息子のダンカン・ジョーンズさんが、自身の最新プロジェクトであるグラフィック・ノベルのファンドレイジングを現在実施中です。

'MADI: Once Upon a Time in the Future'というタイトルのこの作品は、映画監督のダンカンさんと作家のアレックス・ディ・カンピさんが、その他のアーティストと共同し製作され、とても斬新な芸術形態を採っています。その中には、著名なニューヨーク在住の日本人アーティストの清水裕子さんも加わっており、ハードカバー版の表紙のデザインをなさっています。

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清水裕子さんデザインのハードカバー版の表紙

すでにファンドレイジングでの目標金額は達成しており、このプロジェクトが実現することは間違いないのですが、より多くのプレッジが集まると、特典が増えるので、まだまだ協力者を募集しています。

 

 

www.kickstarter.com

 

昨日5月30日に49歳になったダンカンさんと私は、20年以上前にデヴィッド・ボウイさんの公式ファンサイトのボウイネットのチャットや掲示板で知り合いになりました。彼は当時まだロンドン・フィルム・スクールに通っている金の卵でした。

父親譲りの日本好きで、子供の頃に両親と日本に来た時の思い出を話してくれたのを覚えています。

私と知り合う前には日本人女性とお付き合いしていたこともありました。

実は私もダンカンさんにはチャットで「いつか君のところに行くよ」とか「日本にお嫁さんを探しに行きたい」とか、「次の機会(ボウイさんのライブ)には僕に声をかけてほしい」とか口説かれていましたが、ボウイさんが息を呑んでいる私に冗談っぽく「ダンカンは裏切り者」と教えてくれたりしていました。友達からダンカンさんには彼女がいることを聞いていたので、私は素直に身を引きました。

結局彼はそのアジア系の女性と結婚しました。

それでも今でもいなりずしを自宅で手作りしたり、Periscopeでロンドンのラーメン屋からもぐもぐ配信したりしています。

そんなダンカンさんとは、今でもツイッターで時々やりとりしています。

ダンカンさんが映画監督として頭角を表し、彼の監督作品のDVDが近所のお店で販売されるようになり、出世したものだなと感慨深いものがあります。

私も今回のプロジェクトに協力しています。思い切ってペーパーバック、ハードカバー、ダンカンさんとアレックスさんのサイン入りのスリップケース、プリントのセット(159米ドル)を予約しました。ダンカンさんが「アジアで広めて欲しい」とツイートしていたので、微力ながらこちらで紹介することにしました。陰ながらプロジェクトの成功を祈っています。発売される今年の11月がとても楽しみです。

 

Kindle Unlimitedでひたすら本を読み漁る

最近はAmazingTalkerでのオンラインの日本語教師のお仕事以外の在宅ワークに身が入らず困っています。

子供たちの世話をしなければならない事もあるのですが、倦怠感や不安感や眠気があり、なかなか仕事が手につかない状態です。

それに、私は最近孤独にめっぽう弱くなってしまっていて、一人でコンピューターの画面に向かって黙々と作業をし続けることができなくなってしまっていることも原因になっているようです。

そんな状況ですが、本を読みたいという意欲だけは萎えておらず、Kindle Unlimitedで色々な本を読み漁っています。

読書が大好きな私にとって、月額980円で読み放題はとてもお得なので重宝しています。無料で読める本は限られてはいますが、それでもなかなか充実したラインアップになっていて、飽きがきません。

うつ病と闘病中の私にとって、色々な悩み事の解決方法を提供してくれる本はとても貴重です。メンタルヘルス関連の本や自己啓発系の本を中心に読んでいます。1日に5、6冊くらい斜め読みすることも多いです。本を読んでいると、漠然とした不安感が多少和らぐので助かっています。

 

 

さて、先日、今年は行われるかどうか分からなかった全国通訳案内士試験のガイドラインが公開されました。上手くコロナ禍が終息すれば、どうやら無事に行われそうなので、そろそろ本腰を入れて勉強しなければいけません。

今年はハロー通訳アカデミーさんの無料の教材だけでなく、香川せとうち地域通訳案内士研修の時にお世話になったTrue Japan Schoolさんの教材のKindle版を購入し、勉強することにしました。私は特に歴史が苦手なのですが、この教材で何とか苦手意識を克服したいと思います。

 

 

 

 

 

又、私は日本語教育能力検定試験も受験したいと思っていて、ヒューマンアカデミーさんのeラーニングを受講中なのですが、今年は全国通訳案内士試験に重点を置きたいので、現在は学習が保留気味になっています。3年間受講できるので、こっちは気長に取り組もうと思っています。

今は新型コロナウィルスの影響で、通訳案内士よりもオンラインの日本語教師の方が需要が大きいのですが、昨年の全国通訳案内士試験で実務と一般常識は合格したので、それらの受験が免除されるのが今年度のみになる可能性が高く、今年は全国通訳案内士試験に全力を尽くさなければもったいないからというのが理由です。

なかなか難しい舵取りとなっていますが、仕方がありません。

いずれにせよ、日本の歴史と地理についての知識は、日本語教師としても役立つので、無駄にはならないと思いますので、全力を尽くしたいと思います。

AmazingTalkerでロンドン育ちのアイルランド人でイタリア在住の翻訳家という英会話の先生を捕まえて、全国通訳案内士試験対策の勉強のお手伝いを頼みました。外見はアイルランド人でロンドン訛りという絶妙なキャラクターの先生です。私の依頼を快諾してくださったので、先生のためにも精一杯頑張りたいと思います。

AmazingTalkerでは中国語も少し習い始めています。少し文法が分かってくると、発音は分からなくても中国語の意味が少し分かるようになってきているのが楽しいです。

今は、自分の心の健康のためにも、とにかく心から楽しいと思えることに積極的に取り組んでいきたいと思っています。今を生きることに集中して、一歩一歩着実に前に進んで行きたいです。

子供たちの面倒を見ながらのリモートワーク

3月初旬から休校が始まってから、すでに2ヶ月が経とうとしています。

何かと騒がしい元気の有り余った子供たちの脇でコンピューターに向かう日々が、今や日常と化してしまっています。

私は2月にLionbridgeというIT企業のPersonalized Internet Assessorというリモートワークの採用試験に無事合格し、個人事業主として開業届を出して、少しずつ仕事を理解し始めていました。その矢先に、新型コロナウィルスが暗雲を呼び、今や一寸先は闇といった様相を迎えています。3月までは仕事の割り当ても安定していたのですが、4月になってから割り当てがしょっちゅう途切れるようになっています。

UnbabelでのAI翻訳の校正の仕事も、割り当てが少なめになっています。両方とも欧米の企業ですので、新型コロナウィルスの影響が大きく出ているのだと思われます。

仕事が少なくなったと言うよりは、リモートワークをする人が増えている結果として、一人一人に割り当てられる仕事量が減っているという事情もあるのかもしれません。

私はNative Campで英語もオンラインで教えているのですが、外国人に日本語を教えることにもずっと興味がありました。

実は私、何年も前に日本語教育能力検定試験を一度受験したことがあったのですが、努力不足で不合格だったことがあります。それ以来、受験していなかったのですが、これを機にもう一度チャレンジしてみようと思い立ちました。そこで、ヒューマンアカデミーのeラーニングの講座を申し込みました。

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そして、オンラインでの日本語教師の仕事も、海外のオンラインスクールに登録して探し始めました。幸い生徒さんが見つかり、少しずつ前に進み始めています。又、県内に住んでいる日本語がかなり達者な外国人の方で、私のボランティアでのオンラインレッスンを受けたいとおっしゃってくださる方もいらっしゃるので、頑張ってみようと思います。

日本語教師のお仕事は、オンラインで教える場合、日本語教育能力検定試験に合格していなくてもできることが多いので、仕事をしながら試験対策をすることも可能です。

コロナ禍がきっかけで昔目指したものに対して意欲が再燃するとは、皮肉なものです。

ZoomとManyCamというアプリケーションを使って、日本語も英語も楽しくてためになるレッスンができるよう、日々勉強しています。

ただ、子供たちの面倒を見ながら、オンラインレッスンを提供するのは至難の業です。特に次男は発達障害もあるので、子供たちがいる一階から二階にレッスンをしようとコンピューターを持って移動しようとすると、ついて来ようとします。長男と一階にいるように言い聞かせようとすると、泣き喚くことさえあるので大変です。だから、オンラインレッスンを提供できる時間帯は、主人が家にいる時間帯か、子供のいとこたちが遊びに来ていて、義母が面倒を見てくれている、ごく限られた時間帯だけになってしまいます。こういった制限もあるのですが、できる範囲内でできることをしています。

問題は、子供たち、特に次男の宿題です。小4の長男はまだ自分でやらなければいけないことはある程度分かるので、私が言わなくてもある程度は取り組んでくれるのですが、発達障害の小1の次男は、「宿題はしない」と言い張るので、困り果てています。せっかく私が家で一緒にいても、本人がやる気になってくれないのでは仕方がありません。次男をやる気にさせるにはどうしたら良いのか途方に暮れています。4月中には、長男といとこと一緒に宿題をしてくれていたこともあったのですが、幼稚園のいとこも来るようになってからは、そのいとこと遊ぶようになってしまいました。なかなかうまくいかないものです。

無理強いしても勉強嫌いになってしまっても困るので、何か勉強に繋がるようなきっかけがないかを探しているところです。次男は私の自撮り棒をマイクスタンドのように使いたがっているので、マイクスタンドとワイヤレスマイクを購入してみることにしました。一丁前に本物志向な次男は、大人用のマイクとマイクスタンドを欲しがります。次男は歌を歌うのが好きなので、歌でも教えて言葉の勉強をさせようかと思っています。

 

夢はいつかきっと叶う

私は中学時代からずっと、英語の翻訳や通訳の仕事に就くことが夢でした。

それから現在まで、私の辿ってきた道程は、決して平坦なものではありませんでした。

大学時代に就職氷河期を経験しましたが、何とか新卒派遣として社内翻訳や通訳の仕事もさせてもらえるお仕事をさせて頂けたのが、私の大学卒業後の社会人としてのスタートでした。

その後、転職を何度も繰り返し、自分らしい働き方を探し続けてきました。

目指している夢が遥かに遠く感じたため、一時的に英語を使ったお仕事から離れ、IT関連のお仕事をしていたこともありました。

英語学校や塾などでの英語講師のお仕事の経験も積み、現在も続けていますが、私にとって英語講師のお仕事は、帰国子女でもない私の不完全な英語力で、人様に英語を教えるということへの気負いが強く、ストレスが大きいため、英語講師の仕事は、自分のできる範囲内で続けています。

そんな私が心底生き甲斐を感じることができるお仕事は、やはり翻訳や通訳の仕事です。

今日は、今までにさせていただいた中で、一番私にとって思い出深いお仕事について書きたいと思います。

翻訳家や通訳ガイドとして働いた思い出は、私にとってとても大きな心の支えになっています。

私は、今までに幾度となく人様との縁に恵まれ、素敵なお仕事をさせていただくことができました。

息子たちが通っていた英会話学校アメリカ人の先生が、写真家もしていて、私たちが住んでいる香川県の空撮の写真集を出版するということで、和訳をご依頼いただきました。ジェレミーラニグさんという方で、様々な全国ネットでのテレビ番組にも出演なさっている、香川県のご当地外国人です。それは「マイ・リトル・カガワ」というタイトルの写真集で、その写真の数々は、まるでジオラマのような上空からの眺めがとても新鮮な感覚を与えてくれます。ジェレミーさんはとても多彩な方で、英会話学校では動画やゲームなど独自の英語教材を開発したり、ミュージシャンとしても活躍なされています。

www.stepbystepeikaiwa.jp

又、フランス在住の赤木曠児郎先生という日本人画家の画集の英訳もさせていただきました。赤木先生はフランスの文化勲章を授与されている程の著名な方です。先生のパリの名所の絵に、先生の案内文が付いている画集で、英仏和の三ヵ国語でパリについての深い逸話が添えられた、とても興味深い画集です。私はフランスには行ったことがないのですが、英訳をしながら、すっかりパリに行ってみたくなってしまいました。

https://zaifutsunihonjinkai.fr/wp-content/uploads/2019/05/akagi_livre.jpg

 

www.galeriedeparis.fr

私が中学時代に夢見た翻訳家というお仕事を、端くれですがさせていただけるようになるまでに数十年かかりました。諦めさえしなければ、そして努力を続ければ、夢は叶うものなのだと折に触れて感じています。翻訳者として立派な装丁の著書に名前を印字していただけることは、とても光栄なことです。

現在のフリーランスの翻訳家としての主な分野はIT関連なのですが、書籍の翻訳はとても楽しく、達成感も大きいです。これからも機会があれば、書籍の翻訳に携わることできたら嬉しいなと思っています。

そして、通訳ガイドのお仕事も、私の生き甲斐になっています。

今年になって新型コロナウィルスの流行が原因で通訳ガイドのお仕事は全くなくなってしまっているのですが、昨年はダイヤモンドプリンセスが高松港に二回寄港した際に、通訳ガイドのボランティアとして、乗船客を出迎えました。高松での観光を楽しんでくださった外国人観光客の皆さんの感動の声を直に聞くことができ、とても充実したひと時を過ごすことができました。あのクルーズ船が現在あのような悲劇に見舞われていることについては、とても他人事とは思えず、本当に胸が痛みます。このパンデミックができるだけ早く終息し、再び通訳ガイドとしてお仕事ができる日が一日も早く訪れることを祈るばかりです。

少しずつですが、私は最近になってやっと、英語を使った好きな仕事だけをして食べていくことができるようになってきているので、充実した毎日を過ごせるようになってきています。自分らしい働き方を必死で追い求めてきた日々を思い返し、過去の自分に感謝しながら、さらなる高みを目指して日々精進を続けたいと思っています。

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私は英語で食べていく

私にとって、英語はかけがえのない宝物です。

多くの日本人にとって、英語は受験科目の一つに過ぎず、学校を出ると同時に英語からも離れてしまう人も多い中で、私は私の人生を英語に賭けて生きてきました。

私が理系に進むことを期待していた父に、「英語で食べていけると思うんか」と反対されながらも、私は文系に進み、大学で英語を専攻しました。

高校時代に通っていた数学の塾の先生が、地元のある高等学校の校長先生をなさっていた方だったのですが、私が父に反対されて一時は理系を選ぼうとした時、「本当に頭がいい人は文系に行くんです」と、理系に進む予定の生徒たちを含むみんなの前でおっしゃってくださいました。私は、そのお言葉に背中を押され、父の反対を押し切って文系に進むことに決めたのです。

確かに、世間一般には、理系は文系より頭が良い人が選ぶものだというイメージがあります。でも、社会に出ると、会社で最も求められているスキルは、「コミュニケーション能力」であると良く取り沙汰されます。英語を習得することは、社会で高く評価される能力を高めることに役立ちます。恐らく、先生がおっしゃっていたことは、父のような理系タイプの人々にはその価値が過小評価されている、コミュニケーション能力を意味していたのだろうと思います。

英語畑で生きてきた私は、コミュニケーション能力が社会でどれだけ大切かについて、これまでの人生で痛いほど実感してきました。一言にコミュニケーションと言っても、言語でのコミュニケーションだけではなく、非言語コミュニケーションもとても大切です。日本での非言語コミュニケーションと、英語圏での非言語コミュニケーションの違いについても、気を配らなければいけません。

確かに、英語で食べていくことは決して楽ではありません。

父は、私が英語を専攻することに決めた時、「仕事は教師しかないだろう」と思ったそうです。世界中の英語の先生に対していささか失礼な発言ですが、確かに、英語教師以外の英語を使う仕事をさせて貰うためには、かなりの努力が必要でした。私が翻訳や通訳のお仕事をなんとかさせて頂けるようになったのは、英検一級に合格した頃からでした。それでも、翻訳や通訳の仕事だけでは、安定した収入を得るのはとても大変でしたから、つい最近までは、副業としてそのような好きな仕事をして、本業では余り好きではない仕事をするしかありませんでした。

そんな私でしたが、好きではない仕事を無理にしてきたストレスでうつ病になったことが契機となり、昨年とうとう会社勤めを辞めてしまいました。一年間、うつ病と闘いながら、そしてオンラインの英語講師や、翻訳や、通訳ガイドの仕事などを細々としながら、自分の生きる道を探しました。

そして今年になり、うつ病がかなり寛解に近づいてきた折、幸運にも、米国の某大手IT関連企業のリモートワークの仕事をするための試験に合格し、在宅で英語を使って安定した収入が得られる仕事ができるようになりました。これは、日本語と英語でのコミュニケーション能力が必要なお仕事です。

私は大好きな英語で食べていくという夢を、とうとう叶えることができたのです。

英語力を活かしたリモートワークで、育児と家事と仕事の理想的なライフワークバランスを実現できているのです。

現在、新型コロナウィルスの影響でリモートワークが推奨されているので、英語が私を救ってくれたような気さえしています。

英語は、私にとっては、食べていくための手段にとどまらず、生き甲斐でもあります。

自己表現の一つの手段として英語を学び、世界中の人々と心を通わせることは、とても楽しいことです。

私はオンライン英会話で講師をしながら生徒としても習っているのですが、世界中の先生たちと会話をして、日本と海外との文化の違いについて知ることが面白いです。日本文化について説明した時に、先生たちが色々と感心してくださることがとても嬉しいです。

最近では、新型コロナウィルスのために小学校が休みになっている間、週に一度担任の先生が家庭訪問に来るという話を聞いたセルビア人の先生が、日本の先生は凄いと驚いていました。海外では先生が家庭訪問に来たりはしないということでした。英語でのコミュニケーションを通して、私たちが当たり前だと思っていることが、決して当たり前ではないことを、気づかされます。そして、そんな日本人の一人であることを、たとえ仮初めにでも誇らしく感じさせてくれます。

これからの日本人にとって、英語はとても大切なスキルだと私は信じています。私の夢は、これからの日本を担っていく子供たちに英語の素晴らしさを伝えることができる仕事をすることです。一生涯、私と英語の縁は切っても切れないものになることは間違いありません。

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息子たちの将来の夢について

今日は次男の幼稚園の卒園式でした。

この4月から小学4年生になる長男と合わせて6年間お世話になった幼稚園での最後の1日でした。

新型コロナウィルスの影響で、規模を縮小した卒園式となりました。

主人が保護者代表として謝辞を述べさせていただきました。

義父が他界してから涙脆くなっている主人は、涙で謝辞を読めなくなることを前々から心配していたのですが、後半で声を震わせながらも、かろうじて読み上げることができました。

先生方も子供たちも涙ながらに別れを惜しみつつ、無事にこの日を迎えられたことを喜び合いました。

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記念品の中に、園での思い出を綴った文集がありました。家に帰ってから開いてみると、子供たちがおおきくなったら何になりたいか絵と文で紹介するページがありました。

次男が何と書いているのかを見て、驚かされました。そこには、「えいごのせんせい」と書かれていて、指示棒を持っている自分の姿と、もう1人の人が描かれていました。次男はこのもう1人の人は、長男だと言って私を笑わせました。

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ちなみに、長男は同じ文集の同じ質問に対して、「やきゅうのせんしゅ」と書いていたのですが、あれから色々あって、今ではサッカーの選手になりたいと言っています。そういう面では長男は子供らしい子供だと思います。

でも、次男のこの夢は私にはとても意外でした。次男は赤ちゃんの頃から英会話学校に通っていましたが、最近はレッスンに行くのを渋るようになってしまっていたので、仕方なく3月末で退会させることにしたのです。

次男が英語を嫌いになった訳ではないことは、家では英語の歌を歌ったり、私がオンライン英会話で外国人講師と話しているところに「ハロー」と割り込んで来たりする様子からも分かってはいましたが、まさか英語の教師になりたいと思っていたとは夢にも思いませんでした。

英語力そのものについては、知的障害を持っている次男の能力は長男に到底及ばないのですが、教師になりたいという夢を持っているという点では、たとえそれが私を含んだ大人たちのご機嫌を取りたかった上での選択だったとしても、次男も成長したものだと深く感心してしまいます。

私自身、本格的に教師を志したのは大学を卒業してからのことで、子供の頃は教師になりたいと思ったことはありませんでした。学生の頃に塾でアルバイトをしていた時も、それはあくまでお小遣い稼ぎのためであり、自分の職業として意識できるようになったのは、大人になってからのことでした。

次男は、志の面では、そんな私よりもずっと早くから先を見ているということになります。

ちなみに長男は教師になるのは絶対に嫌だと言っています。

次男が私のところに生まれてきた理由について深く考えさせられています。

発達障害を持ちながらも、まっとうな志を持ち始めた次男のために、私ができる手助けをしていきたいと、親としての決意を新たにしました。

障害に負けず、夢に向かって努力する気持ちを大切にして、親子で進んでいきたいと思います。