Eri Wildeの那由多ブログ

エリワイルド(Eri Wilde)のブログです。 本名は福田英里子です。東京外国語大学外国語学部英米語学科卒。英語講師、日本語講師、通訳、香川せとうち地域通訳案内士、翻訳、SE、占い師、心理カウンセラー、YouTuberをしています。二人の兄弟の母親です。音楽(ピアノやウクレレの弾き語り)、アートなど多趣味です。次男は発達障害です。 お仕事のご用命は下記のメールアドレスまで宜しくお願い致します。eriwilde0@yahoo.co.jp

司馬遼太郎さんの著作「人間というもの」に救われた話

前の記事で、一部のサポートしたランサムウェアの被害者からの連絡が途絶えていたことについて書きました。

その後、その方から連絡があり、ファイルの復号は苦労しながらも納得できる程度まで自力で完了できたことのお知らせと、多忙により私に連絡できなかったことへのお詫びをいただきました。

そして、サポートに対する謝礼も頂戴いたしました。

これで、身代金を支払った上でのファイルの復号のサポートをご依頼いただいた皆さんについては、対応が完了したことになります。

これからまだファイルの復号の依頼が全くないだろうとは言い切れませんが、取り敢えず一区切りついたものと考えて良さそうです。

これで私の気がかりも解消されました。

また、前の記事で、私が提供したサポートが正義かどうかについて悩ましく感じていたことに対し、司馬遼太郎さんのアフォリズム集の著作、「人間というもの」の中の一節が、私を励ましてくれました。

(なにごとかをするということは、結局はなにかに害をあたえるということだと、継之助は考えている。何者かに害をあたえる勇気のない者に善事ができるはずがない、と継之助は考えている。

『峠 上』

 

 

この物語に登場する継之助とはどんな人物か、私は全く知らなかったので、少し調べてみました。

「峠」は、長岡藩、今の新潟県の幕末の武士で、反新政府側として戦った、河井継之助についての物語ということでした。

以前は余り知られていなかった武士だったそうですが、この物語をきっかけに、良く知られるようになったそうです。

ランサムウェアへの身代金の支払いを違法としようとしている現代の政府に対する私の立場が、新政府軍に立ち向かわなければばらなかった河井継之助の立場と重なったりもして、私にとって味わい深い引用文です。

継之助は、「勝てば官軍負ければ賊軍」とはよく言ったもので、色々恨みを買っていたため、死後墓石が倒されたりしていたらしいのですが、その後年月を経て、その生き方が再評価されるようになっているそうです。

確かに、世の中に絶対的な善事など、実は存在しないのかもしれません。

それでも、私は自分が善事だと信じることを、これからも追い求めて行きたいと思います。

司馬遼太郎さんの著作については、特に歴史小説については、あまり読んだことはありませんが、「坂の上の雲」のNHKのドラマを夫が観ていたのを一緒に観てから、面白いと思うようになりました。」

最近では、通訳ガイドの勉強のため、「司馬遼太郎と寺社を歩く」も読んだりしています。歴史上の人物についての生々しい描写が、それぞれの史跡に関する解説の中に散りばめられていて、観光で訪れたつもりになって読むと、その時代にタイムトリップしたような気分になれ、歴史と地理が一緒に学べるので、重宝しています。

司馬遼太郎さんの著作と言えば、私が多分中学生だった時、父が私に本を読むようになって欲しいと思って、私を本屋に連れて行き、なぜか司馬遼太郎さんの「国盗り物語」と、スタンダールの「赤と黒」の文庫本を買って、読めと渡されたことをまだ覚えています。

それらは結局ほとんど読まなかったのですが、大学時代に、「赤と黒」の映画をビデオレンタルで見つけたので観てみたのを覚えています。あまりにもドロドロした内容だったと知り、父は一体なぜこの本を私に買ったのだろうかと、頭を抱えました。この本は余り読みたいと思えないまま、本棚に置き去りにされ続けていました。

一方、最近になって、前述の著作、「人間というもの」を読んで、「国盗り物語」については、主人公の斎藤道山が法華経を信奉していたことが随所に描かれていたことを知り、父が同じく法華経を信奉しているので、この著作を選んだのだろうと、やっと気づきました。この本も、あらすじだけは知るようになったのですが、私は歴史小説ファンではないので、さすがに今でも読破しようとは思えません。

本を読めと私が幼なかった頃からしつこく私に言い聞かせてきた父ですが、そんな父が本を読んでいる姿をほとんど全く見たことはありませんでした。

今では私は本を数冊は持たずに外出できないような本好きになりましたが、世の中には、みんなそれぞれ、興味が持てる本と、興味が持てない本があるもので、特定の本を、「読むべき本」としてお互いに誰かに押し付け合うものでもないと思います。

読者は、本の中に、自分の一部を見つけた時だけ、その本に引き込まれるのでしょう。

好きな本を好きな時に好きなだけ読めばいい、それが私の読書スタイルです。

これまでこちらのブログでは、あまり書評を書いたりはしたことがなかったのですが、これからは、少しずつでも読んだ本の紹介もしていきたいと思います。