今日は次男の幼稚園の卒園式でした。
この4月から小学4年生になる長男と合わせて6年間お世話になった幼稚園での最後の1日でした。
新型コロナウィルスの影響で、規模を縮小した卒園式となりました。
主人が保護者代表として謝辞を述べさせていただきました。
義父が他界してから涙脆くなっている主人は、涙で謝辞を読めなくなることを前々から心配していたのですが、後半で声を震わせながらも、かろうじて読み上げることができました。
先生方も子供たちも涙ながらに別れを惜しみつつ、無事にこの日を迎えられたことを喜び合いました。
記念品の中に、園での思い出を綴った文集がありました。家に帰ってから開いてみると、子供たちがおおきくなったら何になりたいか絵と文で紹介するページがありました。
次男が何と書いているのかを見て、驚かされました。そこには、「えいごのせんせい」と書かれていて、指示棒を持っている自分の姿と、もう1人の人が描かれていました。次男はこのもう1人の人は、長男だと言って私を笑わせました。
ちなみに、長男は同じ文集の同じ質問に対して、「やきゅうのせんしゅ」と書いていたのですが、あれから色々あって、今ではサッカーの選手になりたいと言っています。そういう面では長男は子供らしい子供だと思います。
でも、次男のこの夢は私にはとても意外でした。次男は赤ちゃんの頃から英会話学校に通っていましたが、最近はレッスンに行くのを渋るようになってしまっていたので、仕方なく3月末で退会させることにしたのです。
次男が英語を嫌いになった訳ではないことは、家では英語の歌を歌ったり、私がオンライン英会話で外国人講師と話しているところに「ハロー」と割り込んで来たりする様子からも分かってはいましたが、まさか英語の教師になりたいと思っていたとは夢にも思いませんでした。
英語力そのものについては、知的障害を持っている次男の能力は長男に到底及ばないのですが、教師になりたいという夢を持っているという点では、たとえそれが私を含んだ大人たちのご機嫌を取りたかった上での選択だったとしても、次男も成長したものだと深く感心してしまいます。
私自身、本格的に教師を志したのは大学を卒業してからのことで、子供の頃は教師になりたいと思ったことはありませんでした。学生の頃に塾でアルバイトをしていた時も、それはあくまでお小遣い稼ぎのためであり、自分の職業として意識できるようになったのは、大人になってからのことでした。
次男は、志の面では、そんな私よりもずっと早くから先を見ているということになります。
ちなみに長男は教師になるのは絶対に嫌だと言っています。
次男が私のところに生まれてきた理由について深く考えさせられています。
発達障害を持ちながらも、まっとうな志を持ち始めた次男のために、私ができる手助けをしていきたいと、親としての決意を新たにしました。
障害に負けず、夢に向かって努力する気持ちを大切にして、親子で進んでいきたいと思います。