私は英語で食べていく
私にとって、英語はかけがえのない宝物です。
多くの日本人にとって、英語は受験科目の一つに過ぎず、学校を出ると同時に英語からも離れてしまう人も多い中で、私は私の人生を英語に賭けて生きてきました。
私が理系に進むことを期待していた父に、「英語で食べていけると思うんか」と反対されながらも、私は文系に進み、大学で英語を専攻しました。
高校時代に通っていた数学の塾の先生が、地元のある高等学校の校長先生をなさっていた方だったのですが、私が父に反対されて一時は理系を選ぼうとした時、「本当に頭がいい人は文系に行くんです」と、理系に進む予定の生徒たちを含むみんなの前でおっしゃってくださいました。私は、そのお言葉に背中を押され、父の反対を押し切って文系に進むことに決めたのです。
確かに、世間一般には、理系は文系より頭が良い人が選ぶものだというイメージがあります。でも、社会に出ると、会社で最も求められているスキルは、「コミュニケーション能力」であると良く取り沙汰されます。英語を習得することは、社会で高く評価される能力を高めることに役立ちます。恐らく、先生がおっしゃっていたことは、父のような理系タイプの人々にはその価値が過小評価されている、コミュニケーション能力を意味していたのだろうと思います。
英語畑で生きてきた私は、コミュニケーション能力が社会でどれだけ大切かについて、これまでの人生で痛いほど実感してきました。一言にコミュニケーションと言っても、言語でのコミュニケーションだけではなく、非言語コミュニケーションもとても大切です。日本での非言語コミュニケーションと、英語圏での非言語コミュニケーションの違いについても、気を配らなければいけません。
確かに、英語で食べていくことは決して楽ではありません。
父は、私が英語を専攻することに決めた時、「仕事は教師しかないだろう」と思ったそうです。世界中の英語の先生に対していささか失礼な発言ですが、確かに、英語教師以外の英語を使う仕事をさせて貰うためには、かなりの努力が必要でした。私が翻訳や通訳のお仕事をなんとかさせて頂けるようになったのは、英検一級に合格した頃からでした。それでも、翻訳や通訳の仕事だけでは、安定した収入を得るのはとても大変でしたから、つい最近までは、副業としてそのような好きな仕事をして、本業では余り好きではない仕事をするしかありませんでした。
そんな私でしたが、好きではない仕事を無理にしてきたストレスでうつ病になったことが契機となり、昨年とうとう会社勤めを辞めてしまいました。一年間、うつ病と闘いながら、そしてオンラインの英語講師や、翻訳や、通訳ガイドの仕事などを細々としながら、自分の生きる道を探しました。
そして今年になり、うつ病がかなり寛解に近づいてきた折、幸運にも、米国の某大手IT関連企業のリモートワークの仕事をするための試験に合格し、在宅で英語を使って安定した収入が得られる仕事ができるようになりました。これは、日本語と英語でのコミュニケーション能力が必要なお仕事です。
私は大好きな英語で食べていくという夢を、とうとう叶えることができたのです。
英語力を活かしたリモートワークで、育児と家事と仕事の理想的なライフワークバランスを実現できているのです。
現在、新型コロナウィルスの影響でリモートワークが推奨されているので、英語が私を救ってくれたような気さえしています。
英語は、私にとっては、食べていくための手段にとどまらず、生き甲斐でもあります。
自己表現の一つの手段として英語を学び、世界中の人々と心を通わせることは、とても楽しいことです。
私はオンライン英会話で講師をしながら生徒としても習っているのですが、世界中の先生たちと会話をして、日本と海外との文化の違いについて知ることが面白いです。日本文化について説明した時に、先生たちが色々と感心してくださることがとても嬉しいです。
最近では、新型コロナウィルスのために小学校が休みになっている間、週に一度担任の先生が家庭訪問に来るという話を聞いたセルビア人の先生が、日本の先生は凄いと驚いていました。海外では先生が家庭訪問に来たりはしないということでした。英語でのコミュニケーションを通して、私たちが当たり前だと思っていることが、決して当たり前ではないことを、気づかされます。そして、そんな日本人の一人であることを、たとえ仮初めにでも誇らしく感じさせてくれます。
これからの日本人にとって、英語はとても大切なスキルだと私は信じています。私の夢は、これからの日本を担っていく子供たちに英語の素晴らしさを伝えることができる仕事をすることです。一生涯、私と英語の縁は切っても切れないものになることは間違いありません。
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