今年なぜか突然ガーデニングに目覚めた私ですが、庭中に生えかかっていた雑草をあらかた抜き終えた後、無造作に生い茂ったローズマリーを、さてどうしたものかと眺めていた時、一つの枝に作られた小さな蜂の巣と、それにしがみついているアシナガバチの女王蜂を見つけて、息を呑みました。
六角形の小部屋は10個くらい作られていて、巣の一つ一つの小部屋の中には、一つずつ卵が産み付けられていました。一匹だけでここまでの巣を作るなんて、女王蜂は大したものだと感心しながらも、このまま放っておく訳にもいかず、どうしたものかと色々調べた結果、ハチを追い払う線香を炊き、女王蜂を追い払った後、巣がくっつけられているローズマリーの枝を切断することにしました。
実家から、念のためハチ用の殺虫剤も借りてきましたが、アシナガバチは益虫なので殺したくはありませんでしたので、これは巣を除去する時に女王蜂が帰ってきて襲ってくるという最悪の事態への対策としました。
我が家の庭には、花と言ってもせいぜい野草のカタバミやタンポポに似たコウゾリナくらいしか咲いていないのですが、アシナガバチだけでなく、ミツバチクマバチ、時にはスズメバチも訪れる、蜂たちの楽園になっていて、ガーデンチェアーで本を読んでいると、彼らは羽音を鳴らして周囲を飛び回ります。良く見ていると、どうやら、隣の家の古い木の皮を巣の材料にするために訪れているようです。
アシナガバチはミツバチの巣を襲って幼虫を奪い、クマバチはアシナガバチの巣を襲って幼虫を奪うそうなので、壮絶な生存競争が、まさに我が家の庭で繰り広げられているというわけです。
アシナガバチの巣を奪うのは、子育て中の女王蜂に気の毒でしたが、人間の私も子育て中の母親なのだから、ここは諦めて欲しいとお願いしました。
線香を焚いても、女王蜂はなかなか立ち去らなかったのですが、私が周囲のローズマリーの枝を触れた振動に驚いて、逃げていった時に、素早く巣のついた枝を切断し、倉庫に隠しました。
しばらくすると女王蜂は巣があった場所に戻ってきて、そこにあるはずの巣がないことが信じられないとでも言っているかのようにしばらく飛び回っていましたが、ついには諦めてどこかに飛び去って行きました。女王蜂は、自分の巣が別の場所に移されると、もう自分の巣だと認識できなくなるそうです。
その後も、同じ女王蜂かどうかは分かりませんが、庭の別の植木に何度かアシナガバチが偵察している姿を見かけましたが、私はまるで何かの儀式のように線香を焚いて、立ち去って貰うよう伝えました。
この線香は、一時的に蜂を興奮状態にしてしまう効果があるらしく、煙で酔っ払ったようなミツバチが、少し家のドアを開けている間に屋内に入ってきて、私や子供に纏わりついてきたりして、追い払うのが大変でした。
数日後、もう一つ別のアシナガバチの巣が、今度は母屋の軒下に作られ始めていることを義母から知らされ、驚きましたが、再度同じ方法で無事に撤去できました。
女王蜂から頂戴した巣は、子供達に、それらが和紙と同じ製法で作られていることを説明するという、教育目的に使用するという大義名分で利用させてもらっています。このまま置いておいても、果たして卵から幼虫が生まれるのか、検証している所です。
今回、アシナガバチの巣は、女王蜂しかいない間は、かなり簡単に撤去できることを初めて知りました。
今回の体験を通して、必要以上にハチを殺すのではなく、最低限の犠牲で、人間と虫との共存の道を探っていくことが、結局は、回り回って、人間の生存につながるのだろうと思いました。
女王蜂がこの季節、一匹でここまで巣を作り、それに卵を産みつけ、何日もの間その巣にしがみついて卵を守り続けることを知り、人間の母親として、畏敬の念を抱くようにもなりました。
蜂と人類、この地球により長く生存するのは、果たしてどちらなのだろうかと考えていると、人間にハチが必要だけれども、果たしてハチにとって人間は必要なのだろうか、という考えに辿り着くだけだったりもするのです。