エリーの那由多ブログ

「多芸は無芸」な主婦が、親子で学べるブログを目指しながらも、あらゆる突拍子もない話題について語ります。

統合失調症の弟

エリーの突拍子も無いブログ記事、今日は実弟の病気について、書きたいと思います。

私の実弟は、大学在学中に統合失調症を発症し、20年程経った今も闘病生活を続けています。

発病の原因について触れることが、結局は犯人捜しになってしまうことに怯えてきた私は、これまで余り積極的にはこの病について、世に語ることを望んでいませんでした。

でも、はてなブログのブロガーの皆さんの中にも、身内に私の弟と同じか類似した病気を患っている方がおいでになり、読者の立場から色々考えさせられ、自分も何とか自分の思いを綴ってみようと思い立った次第です。

弟は、幼い頃から、どちらかと言えば気が弱く、周囲に流されやすい所がありました。いじめっ子にそそのかされ、自分より弱い子をいじめさせられたりしていました。不真面目な友人に誘われて学校でタバコを吸っている所が見つかり、親が呼び出されたこともありました。

私たちは、幼い頃、父に厳しく躾けられました。何か父を怒らせるようなことをすると、ビンタ(顔に平手打ちすること)で体がぶっとばされる程でした。

又、父は若かりし時を貧しい家庭で過ごし、大学に行けず専門学校卒なので、強い学歴コンプレックスを抱いていました。自分より能力が下の人間が、大卒だから自分より先に昇進したことが気に食わず、脱サラして自分の会社を始めたという、強い気概を持った人です。弟は、無理しないで合格できそうな高校に行きたかったのですが、父は許しませんでした。弟は、そんな父に対し、反発心を募らせながら育ちました。

弟は頭は決して悪くなかったので、結局は父の言う通りの高校に合格し、大学も東京の理系の国立大学に合格できました。

東京に発つ時、弟は父に、「もうここには帰ってこない」と宣言して出て行ったそうです。

弟は東京に行く前、何の家事も自分でしたことはありませんでした。勉強さえしていれば何も文句を言われない家庭でした。母は働き者で、弟を溺愛し、弟のためならば何でもしていました。

大学に入学した時には、さすがに母も心配して、弟を寮に入れました。食事付きなので安心だったのですが、弟は門限に辟易し、数年で寮を出て完全な一人暮らしを始めました。

しかし、それが母に許されたことは、自活力のない弟にとっては逆に不運でした。次第に生活習慣が乱れ、大学のレポートの不備で教授に叱責され、そしてついにある日、実家に電話をしてこう言いました。

「もう大学退めてお父さんの会社で働きたい。」

父は、即答でこう答えました。

「中退者は雇えない。」

根が生真面目な弟は、講義に出席していない友人たちが他の友人のノートを使ってレポートを書いて単位を取っているのを見て、大学そのものに疑問を抱くようになっていたのです。両親が大学に行ったことがなかったので、弟は入学前にそんな現実を知るはずもなく、失望したようです。

弟は、一度は文転を考えていましたが、自力では道が切り拓けず、結局復学したものの、もう故郷にもやすやすとは帰れない、でも大学も嫌になり、だんだん精神を病んでいきました。

私はその頃、同じく東京に住んでいたのですが、まさか弟がそんな病気に罹ろうとは夢にも思っていませんでしたので、母から、弟の様子がおかしいので見に行ってやってほしいと電話をもらい、会いに行くと、弟はじっと横になって動かず、ただ私の問いかけに答えるだけでした。

その数日後、弟が自分のバイクを捨て、誰かがエンジンをかけっぱなしにしていた車を盗み、事故を起こして警察署に留置されたとの連絡を受け、母が上京してきたので、私も一緒に警察署に付き添いました。弟は、精神鑑定で責任能力がないとみなされ、適切な医療を受けるように指示され、無罪放免となりました。

その後、実家に帰った弟は、大学は休学にしたまま、療養生活に入りました。しかし、復学できるはずもなく、退学を余儀なくされました。

闘病しながら、父の会社でアルバイトをしていたこともありました。プライドが高い弟は、正社員になりたいと父に言いましたが、やはり大学も中退では聞いてもらえませんでした。

そして、ついには父の会社も退めてしまいました。

幻聴などの病気の症状も酷くなり、突然厚いガラスを拳で割って血を流したり、バットでテレビを壊したり、傘で天井をついて穴をあけたり、凄まじい状態でした。精神病院への入退院を繰り返し、同じような病気で通院していた友人二人をバイク事故で亡くし、通院以外はほとんど引きこもった生活が、現在まで続いています。

幸い、今現在では、破壊的な症状は、周囲の人々の様々な努力が実ったのか、落ち着いており、ヘビースモーカーであることと、メタボ体型であること以外には、普通の人と変わらない程、寛解してきてはいます。最近は電気自転車で好きな所に好きな時にでかけて気分転換しながら、気ままに過ごしています。しかし、まだ働いている母は相変わらず弟に献身的で、弟に何もさせようとはしません。

父は、弟の病気をほとんどすべて甘やかした母のせいだと言います。

この先、母にもしものことがあったら、弟の面倒を見てほしいと母に言われています。

父は父で、自分にもしものことがあったら、会社を継いでほしいと私に言います。

でも私は、少なくとも今のところは、二人の息子たちを育てることが最優先です。もしもの時、私にできることは限られているかもしれません。

私の親の世代、団塊の世代は、バブル崩壊後、私のような団塊ジュニア世代を、「最近の若者は…」で始まる表現で罵倒し、虐げることにより、経済的苦労の重圧を逃れようとしてきました。過度な学歴信仰、真実が語られ合うことがない希薄な人間関係、そして親子の絆の断絶…。

今、私自身も、子供たちを育てる義務を担う立場となり、同じような心の負担を、私の子供達に負わせてはならないとは思うけれども、子供たちは敏感に上の世代のギスギスした雰囲気を実は感じ取っているのかも知れない、そんな不安を抱えながら、日々暮らしている私です。