Eri Wildeの那由多ブログ

エリワイルド(Eri Wilde)のブログです。 本名は福田英里子です。東京外国語大学外国語学部英米語学科卒。英語講師、日本語講師、通訳、香川せとうち地域通訳案内士、翻訳、SE、占い師、心理カウンセラー、YouTuberをしています。二人の兄弟の母親です。音楽(ピアノやウクレレの弾き語り)、アートなど多趣味です。次男は発達障害です。 お仕事のご用命は下記のメールアドレスまで宜しくお願い致します。eriwilde0@yahoo.co.jp

開運を祈って龍を呼ぶ

振り返ってみると、今年は金運があまり良くありませんでした。

仮想通貨そのものや仮想通貨関連の高額なツールに下手に手を出してしまったのです。

年内には回復するのではと巷で予測されていたはずのビットコインとイーサリアムは、回復どころか、値下がりする一方で、一向に再上昇の気配が感じられません。

今後どうなるかは五里霧中といったところです。

苦しい時の神頼み、ということで、とあるスピリチュアル系雑誌、それも龍についての雑誌を購入し、開運のため龍を呼ぶ方法を試してみることにしました。

 

お盆の上に、雑誌に付いていた龍の護符、お水、お酒、果物、キャンドルを並べて、龍を呼ぶ祝詞を唱えるというプチ宗教がかった儀式です。

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龍には種類が色々あるらしく、私は、投資運を高める軍師のような銀龍と、精神不安を宥めて心の平安をもたらす緑龍を選びました。

長男も興味深そうに寄ってきて、勝負運を高める赤龍を選びました。

龍は家に置いておく護符と、外出時に持ち運ぶ小さな護符とのセットで呼ぶとのことなので、小さな護符は財布に入れました。

他にも、様々な種類の龍のシールを、部屋の各方位やスマホや手帳に貼り付けました。

龍のご加護で運が良くなるといいのですが…。

次男の誕生日に衝撃的事実が判明

12月3日は長男の8才の誕生日、12月6日は次男の5才の誕生日でした。

長男は、11月末に小学校で催されたオータム・フェスティバルに級友とコンビを組んで出場し、レギュラーの「あるある探検隊」を自分たちで脚色した芸を披露し、児童たちや保護者たちを楽しませてくれました。リズミカルでスピーディなネタ運びと、学校生活での「あるある」を織り交ぜたコントが共感を呼んだのか、児童による投票で見事2位を獲得したそうです。親としても、我が子の度胸と元気にとても癒され、励まされました。

オータム・フェスティバルでの活躍のご褒美は、ずっと前から欲しがっていたSWITCHとスーパーマリオ・オデッセイでした。高価な買い物なので、誕生日とクリスマスのプレゼントを一緒にするという条件で承諾しました。長男は満足そうに連日プレイを楽しんでいます。時々うまく出来なくて泣き叫ぶ所はどうにかして欲しいのですが…。仕方なく隠れゲーマーの私が手伝う羽目になります。昔取った杵柄が役立ちます。

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次男は、誕生日に一体一番何が欲しいのか、親の私たちにもよく分かりません。試しにトイザらスに連れて行って様子を見ていると、プラレールで遊んだり、アンパンマンのパン工場で遊んだり、トイパッドで遊んだり、どれが欲しいとも言わずに次々とあちこちに移動して遊んでいます。飽きっぽい性格なので、興味が長続きしないのです。仕方がないですし、大人目線から見ると、トイパッドが一番知育に良さそうなので、見切り発車でトイパッドを買ってあげようかと思っています。

バースディケーキーは5日に二人で一つ買いました。二人ともサッカーが好きなので、キャプテン翼を描いて貰いました。それぞれの年齢を表す数字のそうろくを二本立て、二人で吹き消させました。いちごが大好きな次男は、私と主人のケーキのいちごも貰い、結局4つも食べてしまいました。丁度いとこたちが夕飯を一緒に食べに来ていたので、ケーキを振る舞うことができました。

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そんなバースディウィークの今朝、私が好きな栗原類君の誕生日が、彼のツィートを通して、なんと次男と同じであることを初めて知りました。

次男はADHDの疑いがかけられているのですが、類君とよく似たような症状です。何か運命的なものを感じてしまいます。実は、長男の名前も漢字は違うのですがルイなのです。長男は知能面では特に大きな問題はないのですが…。

という訳で、かねてから気になっていた書籍をKindle版でとうとう買うことに決めました。

 

次男は、海外に連れて行くと外国人に良く間違えられる主人似の、二重瞼の長い睫毛のぱっちりとした目が印象的な、一見するととても可愛らしい女の子みたいな男の子です。ちょっとぼーっとしていつも虚空を見つめているような感じも確かに類君と少し似ているかもしれません。これからこの本を是非子育ての参考にしたいと思います。

ファイナルファンタジーXIVを始めて

今週のお題「2018年に買ってよかったもの」

今年一年の間に、自分のために買ったものの中で、一番決断に勇気が必要だったのは、MMORPGの「ファイナルファンタジーXIV」でした。

少しは楽になってきたとは言え、まだまだ手のかかる二人の息子たちを抱えながら、オンラインゲームを新しくスタートすることは、期待よりも不安が大きく、長い間ずっとなかなか一歩を踏み出せずにいました。

オンラインゲームは、他のプレイヤーと協力してダンジョン等のコンテンツを攻略していかなければならないので、プレイ時間が確保しにくい立場の私は、興味がありながらもずっと我慢していたのです。

実は私は、前作の「ファイナルファンタジーXI」もプレイしていたのですが、子供が産まれてから、ずっと長い間ほとんどプレイできず、アカウントだけ持ち続けるという、非常にお金がもったいないことをしていました。

XIVは、XIよりも、プレイ時間が限られている私のような人間のための工夫がされているという話を小耳に挟んでいたので、ずっと気になっていました。

そして、今年、うつ病と闘うためにも役立つかもしれないという期待感も手伝い、とうとうその誘惑に負け、XIのアカウントを廃止し、XIVのアカウントを作成しました。

XIVはグラフィックも格段に進歩していて、キャラクターメイキングも前作とは比べ物にならないほど多様で美しく、個性的なキャラクターが作成できるようになっています。また、ゲーム音楽もとても素敵で、心を明るくしてくれます。

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温泉でのスクリーンショット

肝心のプレイングについては、本当に限られた時間しかできていないのですが、たまにログインすると、軽くおしゃべりできる友人もでき、気軽に参加できて、良い気晴らしになっています。ゲームの世界の友人はとても親切で優しく、見ず知らずの私をゲーム内の結婚式に突然招待してくれさえします。(ファイナルファンタジーXIVでは、キャラクター同志が結婚式を挙げられるサービスがあります。)

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ファイナルファンタジーXIVの結婚式

仕事に復帰して以来、実は余りログインできていないのですが、ゲームの世界に気の置けない友人がいるという心の支えが、私の中にほんわかと暖かく存在しています。

育児放棄ママにはなりたくないので、これからどれくらいプレイできるか分からないのですが、長男もこのゲームでもう釣り程度ならできるので、コンピュータに親しむ程度に、キーボードの使い方を教えながら、楽しく親子でも遊ぶことができたらいいなと思っています。

今年思い切って乗り換えて新しいスタートを切ることができて本当に良かったと思っています。

書き下ろし短編小説『羽毛布団』

もうすぐ12月がやってくる。冬が近づき、日増しに朝晩の冷気に思わず体が震えるようになってきた。

そろそろ羽根布団を押し入れから出さなければならないのだが、うつ病のせいであらゆる家事が面倒に感じてしまう私は、ダブルの羽毛布団を押し入れから出すという作業に取り掛かることができずにいる。ダブルの羽根布団は大きく、押し入れの中で、こたつ布団や冬物の繊維製品の下に眠っているし、今使っている夏用の肌掛け布団とスナップボタンでくっつけて一人前の冬用の掛け布団になるため、多少面倒である。

かろうじて二枚の毛布は押し入れから引き出すことができたのだが、夏用の肌掛け布団と毛布を重ねて、私は長男と一緒に眠る。

主人は、シングルの羽根布団と毛布で次男と眠る。

長男は暑がりなので、薄い布団でも安眠できているようであるが、私はそろそろ寒さが耐えられなくなってきた。そんな肌寒さをひたすら辛抱しながら眠っていると、おかしな夢を見た。

私は昔東京の大学に通っていた時、荒川区の下町で暮らしていたのだが、そこの下宿先に布団を置き忘れて来ているので、取りに行った。そして、東京に父がついて行ってくれていた。しかし、東京の駅に着くと、父は私に自分で行ってこいと言って、私を置き去りにしてどこかに行ってしまった。一人残された場所の近くには、過去に偉人が泊まった老舗の豪華なホテルがあった。ガラス張りで、中のベッドが外から丸見えだった。

端的に纏めると、そんな夢だった。

夢占いが好きな私は、自分の夢を分析してみた。

布団を忘れて取りに行くのは、失われた休息を取り戻したいという欲求、そして、ホテルのベッドの夢も、睡眠時間が足りないという暗示。父に置いてけぼりになるのは、一人ぼっちになってしまうことへの不安感を暗示している。豪華なホテルは大吉夢であるということに、せめてもの望みが残されている。

それにしても、単に押し入れからフカフカの羽毛布団を出すことだけが、わざわざ東京に布団を取りに行くのと同じくらい重労働なのかと、自分の夢に揶揄されているような気がして、自分で驚き呆れる。全く、うつ病とは、不可解きわまりない病である。こんなまどろっこしい夢を見させるのだから。

それとも、私は安らかな休息を東京に忘れてきてしまっているのだろうか。東京で一人で暮らしていたころ、私の眠りはそれほど安らかだっただろうか。確かに一人で眠る部屋は静かで、自分を蹴り飛ばす寝相の悪い子供と一緒に眠る必要もなかった。誰にも邪魔されることなく読書灯を枕元に置いて、自然に眠りに導かれるまで本を読んでいた。しかし、東京の布団の中での眠りは、孤独だったはずだ。

あの頃の孤独と比べると、今の私は、ずっと幸せだと思う。あの頃よりは、幸せの意味が分かるようになったと思うし、きっと、私が選んできた道に間違いはないはずである。ただ、休息が少し足りていない、それだけのことである。

あの夢は、私にそのことを教えてくれようとしているのに違いない。  私は十分な休息と引き換えに、孤独を克服したのだ。

そして私は、今日こそは羽毛布団を押し入れから出そう、と決意するのであった。

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日本の女流作家を物色中

今週のお題「読書の秋」

最近、じわじわと小説を書くことに興味を持ち始めたのは良いのですが、日本人女性が書いた大人向けの小説を読んだ経験がほとんどない私は、どのようなスタイルで書けばよいのか分からず、いきなり立ち往生してしまいました。

中学時代には、ライトノベル(少女小説)はかなり読んでいた頃もあったのですが、その記憶は、大人の女性として小説を書くための参考にはならなさそうです。

そこで、今最も読まれている日本人女性小説家を調べ、代表作をつまみ食いしてみることにしました。

アマゾンで中古の文庫本を買うと、一冊が1円と送料で買えるので、取り敢えず三冊買いました。現在、その三冊の内、一冊目を読み終えたので、感想を書いておきたいと思います。

その一冊目とは、宮部みゆきさんの、『龍は眠る』です。

 

なぜこの小説を選んだのかと言うと、「超能力」を題材としているという所に興味が湧いたからです。

たまに、海外では警察が超能力者の力を借りて事件を解決したりしているというような内容のテレビ番組が放送されたりしますよね。まさに、それがもし日本で本当に起こったとしたら、こんな感じになるのだろうな、というストーリでした。

超能力を持って生まれながら、自らの力を持て余している不器用な少年や、より強力な超能力を持ったその仲間の青年が、悩み苦しみながらも、世のため人のために役に立とうと奮闘する姿が生々しく描かれています。

なぜ私が超能力に関する小説を選んだのか考えてみると、そのような能力を持った人間が、現実に存在すると信じたい気持ちと、そのような人々が、日本をより良い国にするため、その力を上手く使うことができるようになればいいなという願望があったからだろうなと思いました。

かく言う私も、超能力とまでは呼べるものではないのですが、予知夢を見ることがたまにあります。長男が生まれるちょうど一週間前に、ご先祖様の内の誰か、男性だったのですが、夢枕に立ち、「一週間後に生まれる」とお告げを残したのです。その事を両親や主人などに伝えると、みんな半信半疑でしたが、本当に丁度一週間後に生まれたので、みんな本当にびっくりしていました。父は、そのつもりで仕事を調整していたらしく、丁度良かったと言っていました。

予知夢で様々なことを予言する人は実際に存在します。ブラジルのジュセリーノさんとかもその一人です。また、アメリカにブライアンさんという予知夢を見る予言者の方もいます。彼等はかなり以前、日本の原発が危ないことを予言していました。ブライアンさんも、元禄の大津波のような津波が再び起きることを予言していました。私もその影響か、津波が来たり、放射能が自分の住まいに到達するという悪夢を見たことがありました。本当にあの津波が発生した時には、とうとう来たかと思ったのを覚えています。

長男にも同じような力が遺伝したのかどうか分かりませんが、たまに地震の夢を見たりして怯えたりすることがあります。

そのような力を、この小説では「龍」と呼んでいました。そのような「龍」が目覚めている人間は、特に日本では、どうやら余り厚遇されているようには思われません。金権主義的な社会構造は、むしろ予言者を排除しようとさえします。ジュセリーノさんも一時期、メディアに注目されましたが、結局はスキャンダルで陥れられました。これは、長い目で見ると、ゆくゆくは日本という国を滅ぼしかねない状況なのだと思うのです。

 さて、本題に戻りますが、私が選んだ日本の女流作家の二冊目は、山本文緒さんの『恋愛中毒』です。

 

これはこれから読むつもりなのですが、最初の一ページ目を読んでみて驚いたのは、一人称が「僕」だったことです。宮部みゆきさんもそうなのですが、日本の女流作家は、男性を主人公とすることが多々あるのですね。私が小説を書こうとする時、女が小説を書くには、主人公は女性でないといけないような気がしてしまうのですが、それは間違いなのだと分かりました。

そして、三冊目は、江國香織さんの、『号泣する準備はできていた』です。

 

 これは、気軽にさっと読み切れる短編小説が集められた本で、今は最初の一作品を読み終えたところです。江國さんは留学経験者で、国際的な作風の中で、女性として共感できる主人公の心情描写が面白いという第一印象です。これから全部読むのが楽しみです。

以上の三人の日本の女流作家が、私の読書の秋を彩り始めています。自分で小説を書く前に、もっと多くの日本人女性作家の作品を読んで、養分を蓄えたいと思います。

英語と私の過去と今

私の人生の中で、英語はとても大切な趣味であり続けています。

その趣味が、どんな形であれ、仕事などで役に立つことは、とても嬉しいことです。

時には、様々な障壁にぶつかって、挫けそうになることもありました。

若かった頃には、自分の前に突破できない障壁が立ちふさがっているかのように思われ、一旦大好きな英語から身を引いて過ごした時期もありました。

それでも、英語は、いつの間にか私が取り組むべき課題として、生きていく道筋の中に戻って来るのです。

若かった頃は、「英語力を活かしたい」という気持ちに対する偏りが強すぎて、上手く一つの会社に馴染めないことがありました。

当時の私には、英語そのものは、目的ではなく、あくまで手段であることが、良く理解できていませんでした。

だから、何回も転職しては、自分の居場所を探し続けていました。

英語力そのものも勿論大切なのですが、それ以上に、英語力をどう活かすかの方が大事だということを、人生の中で何度も考えさせられてきました。

私が通訳や翻訳の道を志したのは、中学時代でしたが、どんな分野で、どんな仕事をしたいかについては、漠然としたイメージしか持っていませんでした。

大学でも多数の講義を英語で受けましたが、それらの学問の文脈は、社会で求められる英語とはかなり異なる分野の文脈でした。

ですから、職業として翻訳や通訳の仕事をするためには、大学での勉強だけでは不十分でした。

社会に出て、ある程度様々な一般企業で働いた経験が、翻訳や通訳の仕事の分野を開拓するためにとても役立ちました。だから、派遣社員としていくつもの会社に勤めることができたことは、結局私にとってはプラスだったのだろうと思います。

翻訳や通訳の仕事を請け負う際に、経験がある得意分野がある事はとても重要ですからね。

英語力に関しては、14年前に英検一級にやっと合格できたのですが、最近受験したTOEICでは895点でした。英語力は、特にリスニングが私にとっては維持が難しいのです。リーディングは加齢とともに衰えていく思考スピードがネックで、時間が足りないのも足を引っ張って、このスコアです。自分では納得いかないスコアなので、又チャレンジしたいと思います。まぁ、本当に大事なのはスコアが高いかどうかなどではないんですけどね。

今、会社で英語を使って働くことができていることは、その内容が時に会社間の軋轢の矢面に立たされるような立場でのことであっても、幸せなことだと考えなければならないと思っています。結構大変なんですけどね。毎日のように、微妙な日中関係の象徴のようなやりとりの連続です。

英語は私にとってはライフワークです。育児のために、フリーランスの翻訳の仕事や英語講師の仕事は今は少ししかできませんが、いつかまた復帰できたらいいなと思います。

実は最近、趣味で翻訳しているけれど、途中で止まっている小説もあります。やる気と根気が戻って来るといいのになぁと、まるで他人事のように思っています(笑)

フェイスブックの外国の友人の投稿が大半を占めている私のウォールを毎日読んでいると、読解力の維持にもなるし楽しいので、それですっかり満足してしまっている自分もどこかにいます。

先日の香川せとうち地域通訳案内士の研修の効果測定では、残念ながら不合格でした。アイコンタクトがなく、暗い印象を与えてしまったことが大減点だったようです。うつ病の影響もあると思います。面接官に感じ取られてしまったようです。

それでも負けずに機会があれば再挑戦したいと思います。病気を克服できたら、合格できるのかな。

英語は私の人生を華やかに彩ってくれます。英語が私を暗闇から救ってくれます。これからも諦めずに自分の選んだ道を信じていきたいと思います。

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小説と私 ~村上春樹さんの作品との邂逅~

私は、社会人になってからは小説よりもむしろビジネス書を読むことのほうが多かったのですが、最近になって、少しずつ小説などの文芸書を読むようになっています。

少し前にうつ病の治療のため会社を休んでいた時、スタバが店内にある粋な本屋に行き、何となく手に取ったのが、東野圭吾さんの『秘密』でした。

カフェでコーヒーを飲みながら、その日の内に読んでしまおうとしたので、大体の筋書きが理解できる程度に斜め読みしかしなかったのですが、それでも、その物語をかなり楽しむことができました。でも、飽きっぽい性格なので、つまみ食い状態のままその本は今や我が家の書棚に眠っています。東野圭吾さんのこのような小説は、エンターテイメントとして読みやすく、現実にはあり得ないことが起きる小説の中の世界に、なぜかすんなり入り込めてしまうところが、ちょっとした現実逃避を求めていたその時の私にはぴったりでした。ただ、かなり前に読み通した村上春樹さんの『ノルウェイの森』とかと比べると、読後に強く印象に残る一節などが特になく、軽い読み物だと感じました。『ノルウェイの森』に書かれていた、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」という一節は、私の記憶から一生忘れ去られることのないものとなっています。村上春樹さんが追い求めているテーマの重みや深みは、他の小説家にはなかなか見いだせられないものです。

 

私がもともと小説を読み始めた最初のきっかけは、中学時代にデヴィッド・ボウイさんのファンになり、彼の愛読書を読みたいと思ったことでした。彼は、ジャック・ケルアック、カフカ、三島由紀夫などを愛読していました。正直、漫画が大好きな普通の中学生だった私には、すんなり入り込める小説は少なかったのですが、カフカの『変身』を読了できた時には、小説とは私でもこんなに楽しめるものなのかととても驚いたことを覚えています。でも、三島由紀夫をそこそこ理解できるようになったのは、社会人になってからでした。

又、ボウイさんが出演した映画の原作を読んで理解を深めたり、ボウイさんの歌の歌詞に出てきた小説を読んだりするのも好きでした。クリストファー・プリーストの『奇術師』やジョージ・オーウェルの『1984年』などです。三島由紀夫の『春の雪』も読みました。そういえば私は、その小説を原作としている映画を観てから、その小説を読むことが好きでした。視覚的な刺激を強く求めていたのです。

 

ですから、もし私がボウイさんのファンになっていなかったら、そもそもそれほど小説を読むようになっていなかったかも知れません。

私が村上春樹さんを読みたいと思ったきっかけは、メディアへの露出が少ない彼が、何かの折にテレビで流暢な英語で原発反対のスピーチをしている様子を観てからのことです。日本人の小説家が英語で意見を発言していることに、とても感動しました。

図書館で彼が新人賞を取った初期の作品やエッセイ集を借りて読んだり、古本屋や書店で買った本を読んだりしています。まだそれほどたくさんの作品を読んではいないのですが、これから読みたい本がたくさんあります。村上春樹さんの小説は、『1Q84』とか、カフカとか、微妙にボウイさんのテイストと被っているところも面白いです。二人は年も近いですし、1月生まれで誕生日も近いですし。

 

翻訳家としても、彼の本は私に貴重な指南を与えてくれます。他人から批判された時、それをバネにして、さらに高みを目指す姿勢に、深い敬意を抱きます。『翻訳夜話』や『職業としての小説家』は、これから何度も読み返したい本です。

 

 今読んでいるのは、『海辺のカフカ』です。この小説の主な舞台は、香川県の高松です。そして、偶然にも、香川県出身のヒロインの姓が私の旧姓と同じです。否応なしに小説の中の世界に引き込まれてしまいます。そんな訳はないのに、まるでこの本が私のために書かれた本であるかのように感じてしまいます。とても不思議です。村上春樹さんの小説は、想像力のない私でも、その小説を原作としている映画を観ていなくても、読むと情景がすんなり想像できるので素晴らしいと思います。

 

私にはあまり近くに小説について語りあえる友人がいません。だから、香川県民の中で、一体何パーセントの人が、『海辺のカフカ』を読んだことがあるのだろうかと、気になります。香川県民の読者に出会えたら、村上春樹さんの小説について語り合ってみたいなと思います。